大屋山へ古い登山道を辿る

だいぶ経ってしまいましたが、3/4は西上州へ。

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下仁田駅からバスに乗るような人はあまり見掛けません。地元のおばさんと自分だけが乗車して、終点の雨沢で下車して歩き出します。

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六車まで歩き、大屋山に向かいます。

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だいぶ歩いて山仲の集落の分岐には道祖神がたくさん。双体道祖神も二つありますね。

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ちょっと変な所を登ってしまったけど、その先で正しい道に入り、少し進むと古い道標。左は蓼沼、右は星尾に至るとあります。しかし、星尾というのはどこの事でしょうか。大屋山の先を横断する山道が昔日はあったのでしょうかね。

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道路に出て、その先は道がなくなっていました。堰堤で右に登ると古い踏み跡を見つけ、それを辿ると石祠(写真だと分かりにくいけど右奥)、庚申塔の石碑などがありました。

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蓼沼の集落、と言っても二軒しかありません。しかし、どちらも果たして人が住まわれているのか微妙な感じでした。

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カヤトの中を登り、杉林に入って登っていきます。清水あります、なんて表示があり、わずかに先にありましたが、水はちょろちょろ、この時期はとても飲めるほど出ていませんでした。

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ちょいと分かりにくい斜面の踏み跡を探しながら登ると分岐があり、左に進んで尾根を乗り越すと明神宮。石祠がありました。

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蓼沼に行ってみると、とても沼というよりは小さな池が凍った感じでした。

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明るい尾根を登っていきます。途中はちょっと岩っぽい所もあり、滑りやすい所もあって、実際転んでしまいました。

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ようやく着いた大屋山の山頂。樹林が邪魔するので、あまり眺めはよくありません。先へ進むことに。

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西峰と思われる所まで行くと、素晴らしい眺め。右に見えるのは立岩、向こうの山々は長野県の県境方面の山々ですね。八ヶ岳らしき頭が白い山も見えました。

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左手はと見ると三ツ岩岳とかでしょうかね。

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往路を戻りました。誰にも会わず、この日この山に登ったのは、自分一人だったのではないでしょうか。静かな山でした。


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城山かたくりの里へ

ログが溜まっていますが、今日は城山かたくりの里へ。

雪割草がたくさん咲いていました。
カタクリは咲き始めていましたが、まだまだという感じ。
来週もしくは再来週あたりでしょうか。

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それでもそれなりにたくさんのお花が見られました。
詳細は後日。
この記事は速報のため、しばらく経ったら削除します。

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船塚山

2/26は房総へ。

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久しぶりの久留里線。小さな下郡駅で下車します。

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このあたりは自噴井戸が豊富。汲みに来ていた人達も多かったです。しばらく歩くと鳥居が。

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山に取り付いて長い石段を登ると飯高神社。地元の方が掃除にきておりました。

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しばらく道路を登ると右手に参道のような所が。小さな石碑がたくさん並んでいました。ここは昔は出羽三山講があったそうです。

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山頂の神社付近からの眺め。肉眼で富士山も見えましたけど、ぼんやりともう春の気配で写真には写りませんでした。

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左へ少し行くと大きな広場のような所が。標柱には船塚山公園と書かれていました。昔は農耕馬の競馬場だったそうな。

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端の方にあるかと思って一回りしてしまいました。ようやく二等三角点を見つけました。

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しばらく歩いていくと浅間山手前の石祠。切り開きがあり、富士山がよく見えました。写真にもなんとか写ってますね。中央を気合で見て下さい。(笑)

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山頂の石祠。横の細工が竜や馬なのか、なかなかのものでした。

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最後は急な石段で道路に出ました。

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しばらく歩いて壬申山に向かいます。庚申堂を見ます。

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左手の樹林は伐採されていました。登りついた所は飯綱神社ということでした。

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二十三夜塔を見て、その先まで行きましたが、ただの藪山。しばらく笹薮を漕いで先へ行きましたが何もなく、戻りました。中央左のお堂が二十三夜堂でした。そこが壬申山らしいです。

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配水所裏手を通って道に出て、小学校の横を下り、車の多い道路に出ました。
しばらく歩けば白山神社があり、そこには前方後円墳がありました。これは奥側のこんもりした所。

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駅に向かい、道路を歩いていくと交差点には久しぶりの六地蔵が立っていました。

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まだお昼に俵田駅に着いてしまい、次の列車まで一時間待ち。天気も良く、近くの公園のベンチに座って、のんびり過ごしました。

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茅ヶ崎城跡

2/19は横浜の城跡へ。

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横浜市営地下鉄に乗り、センター南駅で下車して歩き出します。
住宅地を歩いているとなんともう桜が咲き始めていました。河津桜とかですかね。

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茅ヶ崎城址公園に入ります。

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こちらは北郭。この城は北条氏の勢力下にあったもののようですね。

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中郭は少し上がった所にあります。土塁で囲われている感じです。

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土橋を見ますが、そのあたりはだいぶ藪になっていました。歩道を進み、東郭。こちらはこじんまりした感じ。あたりの眺めがよい感じでした。

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こちらは西郭。中郭とはやはり土塁で分離されていました。
なかなかよく遺構が残されている公園でした。

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ついでなので、しばらく歩いて大塚・歳勝土遺跡へ。竪穴式住居などが復元されています。
中に入ることもできました。

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一通り見た後は都筑民家園へ。この日はひなまつりに向けてか、ボランティアらしき方々がいろいろ飾り付けなどをしているようでしたので、外からちらりと見ただけにしました。

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横浜市歴史博物館に立ち寄り、展示を見ました。特別展もあったので、古い時代の海運などに関する古地図や資料、船などを見ることができました。

センター北駅へ出て帰りました。

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中沢から子の権現

18日は奥武蔵へ。

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残念ながらどんよりの天気。飯能駅から午前中一本だけの中沢行きに乗り、終点で下車しました。自分以外に一人、登山者がいたのが吃驚。

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分岐を右に行くとその人は左に行ったようです。確かに普通は竹寺に向かうでしょうね。
自分は八王子尾根に取り付きました。のっけは急登、緩むとモミの木が多いようで奥武蔵らしいです。

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513mには天王山と書かれたテープが付けられていましたが、天王山は竹寺近くのピークの事なので、誤りではないでしょうか。

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静かな桜久保峠。

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踏み跡の尾根を辿っていくとたどり着いたのは豆口山。二等三角点がありますが、眺めはありません。

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急降下で豆口峠。昔はこのあたりに神送り場があったようです。しかし、小さな小屋掛けはもう崩れかけていて、だんだんと古いものは忘れ去られていくようです。

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一般道を歩いていくと子の権現近くに着きます。あたりには梅がちらほらと咲いていました。

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久しぶりに子の権現でお参り。足の全快を祈ります。

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奥の院からの眺めはこの日はボンヤリでしたが、スカイツリーが肉眼ではうっすら見えました。もちろん写真には写りません。

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仁王像もだいぶ古くなってきましたね。

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下って小床方面の道に入ります。

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しばらく一般道を下ってから尾根に入ると鉄塔がありますが、なぜか電線がありません。
鉄塔だけある風景って、珍しいですね。撤去予定なのかな?

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尾根を進んでいくとイモリ山。先に進みそうになりましたが、ちょっと危険なので、わずかに戻って巻き道で下りました。

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久しぶりの森坂峠。左は伊豆ヶ岳東尾根に行った時に通った道ですが、最近はあまり歩かれていなさそうな雰囲気でした。

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これまた久しぶりの本陣山。相変わらずの樹林の中の山頂でした。

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西吾野駅に下りました。

 

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小田城跡と平沢官衙遺跡

宝篋山に登る前、小田城跡に立ち寄ってみました。

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小田東部バス停からしばらく歩きます。もうすでに城跡だった一角らしく、家に裏手に石碑などがあったりしました。やがて城跡に出ました。このあたりは東曲輪跡だそうです。

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大手口から中に入ると広大な敷地。時間があればぐるっとひと回りしたかったのですが、山に登らなくてはいけませんから、諦めました。ここは鎌倉時代から戦国時代にかけて、小田氏の平城だったようです。平成21年から7年かけて整備されたようで、ごく最近まで整備されていたようですね。

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城跡付近から見る宝篋山もなかなか。宝篋山も城跡があったのですが、こちらの小田城跡との関係はどのようになっているのでしょうか。

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宝篋山を下ってから平沢官衙遺跡を見に行きます。北条大池には大きな馬頭尊碑。

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池越しに見る宝篋山もなかなかでした。

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そして平沢官衙遺跡。こちらは城跡ではなく、奈良・平安時代の常陸国筑波郡の役所跡だそうです。遺構を元に建物が3つほど復元されています。

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建物以外にも柱の跡などが残されています。風は冷たかったですが、お天気もよく、日当たりの良い所でのんびりと過ごしました。

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