串田孫一氏の本

日記 串田孫一著

 実業之日本社の一冊。580ページ近い辞書のような分厚い本でさすがに読むのもかなり時間がかかりました。なぜか買ってはいけないような気がしていてずっと買わずにいたのですが、やはり読んでみたくなり、勇気を出して買ってみました。

 この本では戦争末期の1943年から始まり、戦後の草創期である1946年までの記録になっています。本の中では戦争で本とともに日記も焼けてしまったように書かれていますが、後書きによると実際には自分の手でほとんどの日記を焼き、一部だけが戦争によって焼かれたようです。

 日記というものはとても個人的なもので、あまり人の目に触れるような事は少ないですが、読んでいくとそこには串田氏の心の動きがやはりストレートに伝わってきます。前半では手術を受けた串田氏の痛々しい記録。読んでいてこちらまでその辛さが想像できてじっくりとは読めませんでした。また、特に戦前ではとても多くの本を購入していることが書かれています。仕事ということもあったでしょうが、それほどまでに本を愛していたのだけれども、それが戦争で焼いてしまった時はよほど辛かったのでしょうか。何が原因かはもちろん書かれていませんが、それまで多くとも2ページ程度だった日記が、突然1945年6月26日に大量の内容が書かれています。一部は理解できましたが、多くは理解できず、しかし、戦争などに対するかなりの怒りが含まれていることが何となく分かりました。その後は日記を書かなくなってしまい、延々と他の人からの手紙が取り上げられています。ようやくまた書き始めたのは戦争終結後の1946年3月14日。そして最初は厳しかった生活も少しずつ復興の雰囲気が感じられるようになり、東京に戻ることになった1946年9月25日で終わっています。

 こちらも後書きに書かれていましたが、いくつか串田氏が作品に使った事象の元となったものが点在しています。しかし、以前読んだ作品の中でとても印象に残った蛍の事件については意図的に削除したのか、それとも最初から日記には書かれなかったのかは分かりませんが、出てきませんでした。

 激動の時代を生き抜いた串田氏の貴重な記録ではないでしょうか。

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愛の彷徨 串田孫一著

創文社の一冊。昭和27年の初版でした。まだ旧字体で書かれた本で古さを感じさせます。しかし、読んでいくと、やはり深い思索が串田氏ならではだと思わせてくれます。タイトルから想像すると、愛の話についてずっと書かれているようなイメージを受けますが、この本はタイトルと同じ「愛の彷徨」を除けば、普通のエッセイになっています。130ページほどの比較的薄い本ですが、その内容はしっかりとありました。

印象に残っているのは、やはり「旧い山脈」でしょうか。「旧」の文字は旧字体になっています。残雪の山々を前にパレットを取り出した串田氏は戦争で失った友人二人のことを書いています。どのような気持ちに串田氏がなっていたのか、やはり想像をたくさんしてしまいます。

「花の検索」では、名前は出していませんが、「碧い遠方」の詩人という遠回しな言い方で尾崎喜八氏の話をしています。図鑑を見ながらいろいろ教えられたようです。串田氏の動物や植物に関する知識の一部は尾崎氏の影響を受けたことは間違いないようです。

やはり、忘れた頃にもう一度取り出して、読んでみたい気持ちになる本でした。

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花火の見えた家 串田孫一著

創文社の一冊。140ページほどの本なので、ちょっとまとまった時間があった時にさっと読んでしまいました。この本では、串田氏が暮らしたいくつもの家について書かれています。幼年時代を過ごした人力車の引き込まれる家、鎌倉や神田、永田町の家、そして戦争で疎開した荒小屋やその後買った下駄屋の家、そして、都内に戻った時の井の頭の家、そして最後は小金井の家、というように、その時々の思い出を取り混ぜながら綴っています。

子供の頃過ごした家の話は当時の暮らしぶりが分かってなかなか読んでみると面白いものです。しかし、やはり一番印象に残るのは荒小屋での生活でしょうか。以前読んだ本でも荒小屋での生活については書かれていましたが、この本ではそこに至るまでの過程がしっかりと書かれています。いきなり荒小屋の農家に避難したのではなく、最初は一時的に新庄の宿に泊まっていたが、東京に戻ってみると結局、東京の家が焼失したことが分かり、鮎問屋の家の二階を借りることになったようです。しばらくそこで生活している時に町役場から出頭するように声がかかり、何もしていないことで取り調べを受けたようです。そんなことで隠匿生活に近い状態になり、その中で蛍を捕まえて部屋に放したら警防団員に見つかって厳しく怒られてしまうという出来事が発生します。

しかしそこも出なければいけなくなり、放浪生活になろうとする時に街道を歩いていると、農夫に声を掛けられて一部屋を借りることになりました。こうして農家のご厄介になり、田植えなども手伝ったりしたようです。その後、戦争も終わり、また壊す商店の木材を買ってその木材を利用して家を建て、わずかの間ですが住むことになったようです。目の前を子供達が通学路として利用していたようですが、ある時、吹雪で子供達が進めなくなっていた時に家に招きいれてお茶を飲ませてあげたりする話はなんとも心温まる話になっていました。

まとめて書かれたものではなく、他のものに発表されたものを集めた感じもありましたが、それでも、この本は波乱に満ちた串田氏の生活を如実に描いたものと思います。また時間が経った頃、読み直してみたい本でした。

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もう登らない山 串田孫一著

恒文社の一冊。1990年に出された本で自分の買ったのは1996年の第四刷でした。これは随分前に新書の残っていた本を購入したものでした。おそらく串田氏の山に関する最後の作品だと思われます。後記にありましたが、病気を患ったために山に登れなくなってしまったようです。いずれも遠ざかっていく想い出、薄れていく記憶を手繰り寄せながら綴ったものとご自身で記述されていますが、やはり以前の著書の中で書かれていたことが再度書かれている事が多いという印象は否めませんでした。この本は普通の人が読んでも面白いとは思わない本かもしれません。

読んでいくと、だいぶ文章から感じる「力」とでも言う物でしょうか、それが薄くなっています。若い頃に書かれた山の文章と比較すると、本当に同じ人が書いたものなのかと疑いたくなるほど違っているように感じる所が悲しいです。しかし、それはそれ、円熟した思想はやはり晩年の串田氏ならではだと思います。

写真は何人かの方が撮影されたものが挿入されています。単に風景を撮影した写真もありますが、串田氏が若い頃に映画に出演した時の写真などもありました。実際に串田氏のものかどうかは分かりませんが、ピッケルが写された写真が気に入りました。そんな写真も文章の邪魔にはなっていないようです。

残念な事に人間は少しずつ年を取っていきます。もう若い時の時間を取り戻すことはできません。でも、例え歩けなくなったとしても、山について想うことはいくらでもできることを串田氏は教えてくれているのだと思います。最後の「冬の旅」という題の文章の最後に本当に串田氏が書きたかったことが書かれているような気がしてなりません。

誰にでもお勧めできる本ではありませんが、串田氏の本が好きであれば、やはり押さえておくべき本の一冊ではないかと思います。

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山のパンセ 串田孫一著

実業之日本社の一冊。もう何度も読み返している本です。しかし、読むたびに違った印象を受けるのが不思議です。

後記によると「山のパンセ」は最初の一冊が1957年に出版され、「若き日の山」に続く二冊目の山の本だったそうです。一冊だけのつもりだったのでⅠとは刷られていなかったそうですが、その後1962年に「山のパンセⅡ」が出て、1963年に「山のパンセⅢ」が出されたということでした。その後1966年に「新版山のパンセ」が二冊本として出され、その時に11篇を除き、新たに2篇を加えたとあります。この実業之日本社の一冊では、三冊本の内容に戻ったということでした。やはり450ページにもおよぶかなりの分量があり、読むのにも時間を必要とします。しかしそれだけ串田氏の文章に浸ることができます。最近、山と渓谷社からこの本を元にした文庫本も出ているので、今でも買うことができるようになりました。

今回は特に印象に残ったのは「山の湯」という題の中で、山へ行くものはその人がお金があろうがなかろうが、それとは別に安く上げることを工夫しなければならない、・・・それは山登りの精神から言って非常に大切な事だ、という部分です。たいした苦労もせず、ロープウェイなどで簡単に山に入って、簡単に頂上に着き、旅館並みの山小屋に泊まって帰ってくる、ということはほとんど観光客や旅行客と何も変わらないではないか、と常々思っているのですが、本当に串田さんの考え方にとても同調出来る気がします。

この本は、また何度でも読み返すことになるだろうと思います。

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覚めて見た夢 串田孫一著

文京書房の一冊。買った本は初版で串田氏のサイン入り。もうこれは自分の宝物の本となっています。

本自体は200編の短編で書かれています。内容的にはあまり面白いとは言えず、一般の人がどれだけこの本を読むかというとかなり難しそうな印象です。しかし、そこはやはり串田氏の本らしく、読んでみるとその深い思慮に引き込まれ、またそこに書かれたものとは違う、いろいろな方面へ考えが飛んでいくのはいつもと同じです。

印象に残ったものは29番の「野遊び」と名付けられた文章。この中では叔父に連れられて歩いた野原の事を書いています。特にこれといったことがあった訳ではなく、単に叔父と従兄弟と一緒に歩いただけの話です。でも、子供の頃の記憶というのは、そういうものでしょう。すごく嬉しかった訳でも悲しかった訳でもないけれど、なんとなく記憶に残っている事というのは誰しもあると思います。そんな雰囲気が妙に心に残りました。

やはり良い本でした。

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不器用な愛 串田孫一著

彌生書房の一冊。断想集で山の本ではありません。

こんな短い一つ一つの話がしっかりまとまっているのは、やはり串田氏ならではでしょう。かなり書評を書くことが難しい本です。なかなか考えさせられる話になっているのでそんなに厚い本ではありませんが、読むのに意外に時間がかかりました。

面白いかと言われるとそうではなかったと否定したくなりますが、かと言って面白くなかったかと聞かれるとこれまた否定したくなる不思議な本です。

ふと思い立った時にとりだして読むのに最適な本という感じでした。

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風の中の詩 串田孫一著

集英社文庫の一冊。この本ではタイトルの「風の中の詩」と「漂泊」の二冊のすべてがまとめられています。「風の中の詩」は女性雑誌に連載されたもののようです。そのせいかどうか、内容的にやはりちょっとしんみりしたりする話が多いように思われます。その中で山に関係する話というと「伝説を聞かせる泉」という話でしょう。ある山で道を歩いていたらわずかな水の流れがあって、その横に踏み跡があったので、それを辿ってみると、と言った内容の話ですが、その先どうなるんだろうと読んでしまいます。このあたりはさすがですね。

「漂泊」の方はちょっと文章が固い感じ。こちらも雑誌に連載されたようですが、少し固い雑誌だったのかもしれません。自分には少し分かり難い感じがあり、どうも読みながら、別な事を考えてしまったりすることがよくありました。その中で印象に残ったのは、「駅の椅子」というお話。長距離列車のホームらしいところにある椅子で休む話ですが、家へ急ぐ人達を見て、その列に加わることを許されていないように感じ、といったような事が書かれています。作家というと自由気ままなように思えますが、逆に普通の人とは少し違うような自分の生き方をそんな風に感じたのかもしれません。

なかなか中身の濃い本でした。

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自然と美と心 串田孫一著

文藝春秋の一冊。神田の古本屋街をぶらぶらと散歩していたら店頭の書棚にあった本を見つけました。480ページにもおよぶ本でさらに二段組み。読むのに相当な時間を必要としました。

内容的に山の話は少なく、どちらかというと自然に関する話と絵の話、音楽の話、文章に関する話、人生論などが書かれています。「鳥瞰」については珍しく飛行機に乗って上から山や川を眺めてそれについての文章が書かれています。出版社から要請されて書いた物でしょうけど、さすがに串田氏も何を書いて良いやら困ったのか、かなり苦心した文章といった感じが読み取れました。

印象に残ったのは「鰺の絵」という話でしょうか。串田氏が子供の頃、書いていた絵を家にやってきていたある銀行家の小父さんが「目の前から絵をまきあげていった」みたいです。しばらくロンドンの銀行にかけられていたそうですが、串田氏はかなり憤ってべそをかきながら父と母に文句を言ったそうですが、どうにもならなかったという話が、なんとも言えない味を出しています。

最後の「人生に関する十三章」は読むのがはっきり言って辛かったです。まあ、これが簡単に理解できるようだったら人生も簡単なものなのかもしれませんけど。

読み応えのあった本でした。

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雲の憩う丘 串田孫一著

創文社の一冊。昭和45年の初版でした。大型の本であまり見掛けたことがありませんでしたが、古書展で見掛けて購入しておきました。どちらかというと静かな感じの漂う文章が多い感じでした。いつものように難解な文章があるかと思いましたが、この本では比較的読みやすい文章がほとんどで、意味がよく掴めないような文章は少なかったように思います。しかしそれでも、やはり裏に何か別な事を書きたかったのではないかと思うような文章ももちろん含まれています。

「北の湖」という話はかなり暗い感じの印象を受ける文章です。北の湖という題からして、普通の湖とは違う静かな湖をイメージしますが、この話の中ではそれがさらに暗い雰囲気を醸し出しています。さらに「寂しい人生の終わりに近い漁夫」が登場し、追い打ちをかけています。何か串田氏の感ずることがあったのでしょうか。

 数枚の抽象的な絵も挿入されています。あまり明るい感じがしないのは、やはり何かこの文章から受ける雰囲気なのでしょうか。「夜更け」という題の文章では、串田氏が考え事をして眠れなくなってしまうことを文章にしています。人間が生活していると、やはり何か壁のようなものに当たってしまったりすることがあるでしょう。それに人間は年を取ると弱気になる、という話を聞いたことがあります。串田氏がそんな状態だったかどうかは分かりませんが、今まで読んできた串田氏の本とは違い、自分には何か苦悩があったのではないかと思わせる文章がいくつもあったような気がします。

かなり重い一冊でした。

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