(鹿峰から海を眺める)
保田浅間山から鹿峰は一般登山道ではありません。場所により笹薮の繁茂が酷く、尾根上は歩けないところもありました。最後の真福寺の手前あたりも道が笹薮となっています。いずれもルートファインディングが必要です。
【 山 名 】保田浅間山、鹿峰
【 山 域 】房総の山
【 日 時 】2025年2月1日(土)
【 天 候 】くもりときどき晴れ
【 ルート 】保田駅9:20→10:10保田浅間山→10:45デデッポーの足跡→11:05鹿峰→11:30真福寺→12:00不動堂→12:05秋葉神社→保田小学校(直売所立ち寄り20分)→12:50保田駅
☆保田浅間山へ
久しぶりに保田の山に出かけてみる。事前に調べた限りだと保田浅間山はかなりマニアックな山になっているようだ。どこまで行けるか分からなかったし、不安はそれなりにあった。ちょっと遅く起きたので千葉駅で一時間近く待たなくてはいけなさそうな時刻であったが、錦糸町で急ぐと検索では出てこなかった列車に乗り継ぐことができた。千葉駅での乗り換え時間はわずか1分、それでも走ってみるとなんとか上総湊駅行きに乗り継ぐことができ、一時間早く着けることになった。
保田駅で下車して歩き出す。もちろん保田浅間山に向かう人などいるはずもない。駅近くの神社の横を通り、小さな踏切を渡って道路に出る。すぐ先の神社の横を曲がり、進んでいくと川に出る。橋を渡ってから左に折れると足立区の自然の家の表示がある。カーブの道を曲がりながら登ると自然の家の手前に権現山への道があるが、「立入禁止」の表示になっていた。話だけでも聞いてみようと自然の家に入ってみた。鍵はかかっていなかったが、この時間は管理人などはいそうにもなかった。権現山は最近登った記録はあまりなかったが、台風などで影響を受けたのだろうと思われた。諦めてカーブを降りて取りつくが、これもまた道というよりただの斜面を登れそうな所を探しながら登った。足場も悪く、注意しながら直登していくとコンクリートの段がある道に出た。
昔の登拝路なのであろう。その道をしばらく登ると道か分かれている。そのまま直登するのが正しい道だとは思ったが、右手に進む踏み跡はどこへ行くのか気になった。右の踏み跡を進んでしばらく進むと左に曲がり、やがて下へ下っていくようだった。どこかへ通じているのであろう。道はなかったが左へ尾根を登る。しばらく道なき所を登ると登りついた所は昔の浅間社が置かれていたであろうと思われる場所である。しかし、めちゃくちゃに倒壊していて、忘れ去られた状態であった。これでは登って来る人もいないであろう。
左手から先に進むが、やはり笹薮が繁茂している。
できるだけ左手を進むと登りになり、少し登って右手の笹が薄い所を進むと山頂らしき所に出る。左を見るとヤブのぎりぎりの所に山名板がぶら下がっているのを見ることができた。やはりここが保田浅間山であった。
さて、先に進むが、目の前は笹薮である。意を決して笹薮に突入するが、少し進むと笹薮が酷い状態になり、とても進めそうにない。諦めてわずかに戻ってから進行方向の右へ出る。少し尾根を外すとヤブは薄いが、それでも先はやはり笹薮である。少しだけ進んでから再び笹薮の中に突入するが、やっぱり少し進むとそれ以上は密藪で進めなくなる。やっぱりダメである。今回もわずかに戻って右へ出る。すると少しヤブの薄い所に出る。尾根は進むことができないので、トラバース気味に歩くしかなさそうだ。斜面を間違って下りそうではあるが、なんとか尾根の右を笹薮を少し漕ぎながら進むと広い所に出た。少し進むと右手に何やらゴミが散乱している。ここまでわざわざゴミを捨てに来ることは考えられず、ここに小さな小屋でも立てていたのではないかと思われるが、よく分からない。先にトラバース気味に進むが、右下へ落ちないように注意しながら進む。左は笹薮が酷く、とても歩けなさそうだ。しばらく進むと右下に向かって広い尾根が伸びていた。
笹薮もなく快適な尾根だ。ぐんぐん下っていく。調子に乗り過ぎて下り過ぎてしまったようだ。右手の尾根が高くなり、そちらに行かなくてはいけないのに、このままだと沢に下ってしまう。地図を見て登り返す。少し登り返すと左手に尾根が認められ、そこまで戻って左に進む。やはり笹薮が広がるが、左手はなんとか薄いヤブになっているのでそこを進む。下っていくとやがて先の方にテープが見える。こういうときのピンクテープは有り難い。他にもビニールテープが見つかった。
すぐ先が鞍部で、そこから登るがやはり笹薮である。でも踏み跡が笹薮の中に続いている。
その踏み跡に入って登り返しになる。しばらく進むと踏み跡は錯綜していて、どれを辿ればいいのかよく分からなくなる。倒木も多く、やはり台風の影響であろう。直登の踏み跡は辿れなくなり、右手に向かう踏み跡が比較的登りやすそうだ。それを辿り、右手に向かって登る。やはり倒木が邪魔するがなんとか登ると右から左に尾根が続いている。それを辿って左に登る。しばし登ると左に踏み跡が続いているのを見る。その踏み跡を少し進むと折り返すが、そこもまた踏み跡が怪しくなる。それでもなんとか斜面を登るとピークらしき所に辿りつく。
左に尾根が続いていて、そちらに向かうのが正しいのであろう。左へ進む。しばらく進むとやっぱり笹薮である。ただ、そんなに濃くはないので、薄い所を探しながら進む。比較的左側が薄いようだ。しばらく進んで登り、それから下りになる。軽く下ると右手にヤブだが、わずかにヤブがない所が見える。このあたりがデデッポーの足跡だと思われた。今はとても足跡にはみえないが、内田栄一氏「房総のやまあるき」には「確かに足跡の形をしており」と記載がある。当時は今ほどのヤブはなく、しっかり見ることができたのであろう。なぜか貝殻が木に付けられて風に揺れていた。
そこからはまた登り返しになる。やっぱり笹薮があるが、そんなに高いヤブではなく、足元にたくさん生えているという感じである。これも薄い所を探しながら進んでいく。
やがて少し尾根がきつい登りとなる。
もうそろそろ降りる予定の尾根が合流するはずと登っていくとやはり左からの尾根と合流する。わずか先に行くと道が左下から登ってきていて、そこには手製の道標があった。
先へ進む。比較的明瞭な感じの道を進む。しばらく進んで登り、小ピークを左から巻いて先に進む。さらに登るとそこが鹿峰の山頂、かなり古い山名板と少し新しい山名板が二つほど立っていた。すぐ後ろは大きな木が倒れていた。あまりランチにする気分にもなれない。右から巻いて進むと少し掘れたような所が見つかった。少し戻ると先に湾と海が見える。これだけの眺めであろう。山頂を後に下山することにする。往路を戻るが、小ピークを巻くところはこんな感じだったかなと思う。反対から来ると随分印象が違うものだ。再び道標の所まで戻り、そこから右に真福寺を目指す。
山道が認められ、それを追って下っていく。台風の後はかなり厳しかったのではないかと思われたが、多少は整備してくれたのだろうか。しばらく下るとだんだん山道は深くなり、枝や落ち葉がだいぶ積もっていて歩きにくくなる。途中にはやはり倒木で歩けない所があり、左や右の高い所を下るが、道はかなりの斜度で下っていて、また道はだいふ掘れているので道に戻るのもしんどい所が結構あった。
なんとか溜まった落ち葉などの上は歩かないようにして下っていき、何度も曲がりながら下っていく。ひたすら下ると右に道は離れていく。そこからはまたヤブ道の始まり、先に進むが、どこを歩くのが正しいのかよく分からない。進んでいくと左にフェンスがあるがヤブが多い。突き進むとフェンス横を進むようになるが足場が悪い。その先に作業用の乗り物があった。
ところがその先少し行くと左下にフェンスは離れていき、右に登るとなんとかテープを見かけて先に行く。その先まで行くとまた笹薮。そこで進路がまた分からなくなる。右のあたりをしばらく進んでみたが、どうも道ではない。また戻り、テープの所まで戻る。笹薮のあたりを探すとやはり左手がなんとなく薄い。そこを進むとこれが道の続きだろうか、またテープをみかける。笹薮の中をかきわけながらそのまま進んでいくと古い砂などを入れる袋がいくつも捨てられている。その先に行くと倒木があり、それを乗り越えて道だったのではないかと思われる所を進む。また捨てられた袋を見かけ、笹薮の中を進むと急に舗装された道に飛び出た。右を見ると道があり、石灯篭が見えた。右に行ってみるとそこが真福寺であった。
事故もなく山を下りることができてホッとする。お寺でお参りする。今はもう訪れる人もほとんどなさそうだ。板碑はコンクリートで固められていた。石段を下ると道路に出る。近くには案内板がある。板碑は鎌倉時代のものらしい。ただ、割れてしまったようで昭和の時代にブロックに収めたと書かれていた。
ホッとした気分で道路を下っていく。だいぶ下って民家のあたりまで来ると水仙が咲いている。やはり房総と言えば水仙である。
道をそのまま進むと農地が広がるが、そのあたりにもたくさん水仙が咲いていた。さらに進んで長狭街道に出る。右に細い道に入って進むと道が分かれていて、左に進む。山に向かって登っていくが、しばらく登ると民家で道は終わっていた。どうも違うらしい。あたりを探したが、それらしい場所がない。やっぱり無理だったかなと思いながら少し戻ると細い道があった。それに入ってみると民家の間を進む。犬がいてワンワンと吠えられた。そのまま細い道を先に進むとそれらしい道が分かれていて、右に曲がって進むと不動堂に着く。
その横から道が始まっている。そちらを登る。少しザレていて急な登りが続くので足元に注意しながら登る。まださきほどの犬の鳴き声が聞こえていた。小さく曲がりながら登っていくとあまり山頂っぽくない所に登りつく。社があるが、固く閉じられていた。秋葉神社であろう。横には石碑と石祠がある。富士浅間大神と書かれている。富士講らしい。
さて、下りにかかる。やはりザレているのが心配である。慎重に下っていく。ピーと甲高い鳴き声が聞こえた。鹿のテリトリーらしい。そういえば登る時も小さな糞が大量に落ちていた。この道を根城にしているのだろう。下って不動堂に戻る。再び細い道に出て、右に行く。道はなくなって民家の裏手を進むとなんとか道路に出ることができた。高速の下をくぐって先へ行くと小学校の近くを通る。学校の斜面にも水仙がよく咲いていた。先の道を進んで左へ進む。いちご狩りをやっているらしく、ビニールハウスから何人か出て来た。長狭街道に出て、右にいく。のんびり歩いていくと保田小学校に出る。せっかくなので立ち寄ることにした。直売所に行って酒やくじらの大和煮缶などを買い込んだ。駅に向かう。普段ならばんやに立ち寄るところだが、まだ13時前、この時間に行くと人だらけで一時間待ちは当たり前なので行く気にならなかった。再び線路手前を右に入って小さな踏切を渡り、駅へ行く。
少し待てば列車が来るようだ、お昼を食べていなかったので持ってきたパンを待合所で食べて満足。やがて来た二両編成の列車はそれなりに座っていたが、まだ座席が空いていた。早い帰宅となった。
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