保田浅間山から鹿峰

2025020114(鹿峰から海を眺める)

保田浅間山から鹿峰は一般登山道ではありません。場所により笹薮の繁茂が酷く、尾根上は歩けないところもありました。最後の真福寺の手前あたりも道が笹薮となっています。いずれもルートファインディングが必要です。

【 山 名 】保田浅間山、鹿峰
【 山 域 】房総の山
【 日 時 】2025年2月1日(土)
【 天 候 】くもりときどき晴れ
【 ルート 】保田駅9:20→10:10保田浅間山→10:45デデッポーの足跡→11:05鹿峰→11:30真福寺→12:00不動堂→12:05秋葉神社→保田小学校(直売所立ち寄り20分)→12:50保田駅

☆保田浅間山へ

 久しぶりに保田の山に出かけてみる。事前に調べた限りだと保田浅間山はかなりマニアックな山になっているようだ。どこまで行けるか分からなかったし、不安はそれなりにあった。ちょっと遅く起きたので千葉駅で一時間近く待たなくてはいけなさそうな時刻であったが、錦糸町で急ぐと検索では出てこなかった列車に乗り継ぐことができた。千葉駅での乗り換え時間はわずか1分、それでも走ってみるとなんとか上総湊駅行きに乗り継ぐことができ、一時間早く着けることになった。

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 保田駅で下車して歩き出す。もちろん保田浅間山に向かう人などいるはずもない。駅近くの神社の横を通り、小さな踏切を渡って道路に出る。すぐ先の神社の横を曲がり、進んでいくと川に出る。橋を渡ってから左に折れると足立区の自然の家の表示がある。カーブの道を曲がりながら登ると自然の家の手前に権現山への道があるが、「立入禁止」の表示になっていた。話だけでも聞いてみようと自然の家に入ってみた。鍵はかかっていなかったが、この時間は管理人などはいそうにもなかった。権現山は最近登った記録はあまりなかったが、台風などで影響を受けたのだろうと思われた。諦めてカーブを降りて取りつくが、これもまた道というよりただの斜面を登れそうな所を探しながら登った。足場も悪く、注意しながら直登していくとコンクリートの段がある道に出た。

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 昔の登拝路なのであろう。その道をしばらく登ると道か分かれている。そのまま直登するのが正しい道だとは思ったが、右手に進む踏み跡はどこへ行くのか気になった。右の踏み跡を進んでしばらく進むと左に曲がり、やがて下へ下っていくようだった。どこかへ通じているのであろう。道はなかったが左へ尾根を登る。しばらく道なき所を登ると登りついた所は昔の浅間社が置かれていたであろうと思われる場所である。しかし、めちゃくちゃに倒壊していて、忘れ去られた状態であった。これでは登って来る人もいないであろう。

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 左手から先に進むが、やはり笹薮が繁茂している。

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 できるだけ左手を進むと登りになり、少し登って右手の笹が薄い所を進むと山頂らしき所に出る。左を見るとヤブのぎりぎりの所に山名板がぶら下がっているのを見ることができた。やはりここが保田浅間山であった。

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 さて、先に進むが、目の前は笹薮である。意を決して笹薮に突入するが、少し進むと笹薮が酷い状態になり、とても進めそうにない。諦めてわずかに戻ってから進行方向の右へ出る。少し尾根を外すとヤブは薄いが、それでも先はやはり笹薮である。少しだけ進んでから再び笹薮の中に突入するが、やっぱり少し進むとそれ以上は密藪で進めなくなる。やっぱりダメである。今回もわずかに戻って右へ出る。すると少しヤブの薄い所に出る。尾根は進むことができないので、トラバース気味に歩くしかなさそうだ。斜面を間違って下りそうではあるが、なんとか尾根の右を笹薮を少し漕ぎながら進むと広い所に出た。少し進むと右手に何やらゴミが散乱している。ここまでわざわざゴミを捨てに来ることは考えられず、ここに小さな小屋でも立てていたのではないかと思われるが、よく分からない。先にトラバース気味に進むが、右下へ落ちないように注意しながら進む。左は笹薮が酷く、とても歩けなさそうだ。しばらく進むと右下に向かって広い尾根が伸びていた。

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 笹薮もなく快適な尾根だ。ぐんぐん下っていく。調子に乗り過ぎて下り過ぎてしまったようだ。右手の尾根が高くなり、そちらに行かなくてはいけないのに、このままだと沢に下ってしまう。地図を見て登り返す。少し登り返すと左手に尾根が認められ、そこまで戻って左に進む。やはり笹薮が広がるが、左手はなんとか薄いヤブになっているのでそこを進む。下っていくとやがて先の方にテープが見える。こういうときのピンクテープは有り難い。他にもビニールテープが見つかった。

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 すぐ先が鞍部で、そこから登るがやはり笹薮である。でも踏み跡が笹薮の中に続いている。

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 その踏み跡に入って登り返しになる。しばらく進むと踏み跡は錯綜していて、どれを辿ればいいのかよく分からなくなる。倒木も多く、やはり台風の影響であろう。直登の踏み跡は辿れなくなり、右手に向かう踏み跡が比較的登りやすそうだ。それを辿り、右手に向かって登る。やはり倒木が邪魔するがなんとか登ると右から左に尾根が続いている。それを辿って左に登る。しばし登ると左に踏み跡が続いているのを見る。その踏み跡を少し進むと折り返すが、そこもまた踏み跡が怪しくなる。それでもなんとか斜面を登るとピークらしき所に辿りつく。

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 左に尾根が続いていて、そちらに向かうのが正しいのであろう。左へ進む。しばらく進むとやっぱり笹薮である。ただ、そんなに濃くはないので、薄い所を探しながら進む。比較的左側が薄いようだ。しばらく進んで登り、それから下りになる。軽く下ると右手にヤブだが、わずかにヤブがない所が見える。このあたりがデデッポーの足跡だと思われた。今はとても足跡にはみえないが、内田栄一氏「房総のやまあるき」には「確かに足跡の形をしており」と記載がある。当時は今ほどのヤブはなく、しっかり見ることができたのであろう。なぜか貝殻が木に付けられて風に揺れていた。

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 そこからはまた登り返しになる。やっぱり笹薮があるが、そんなに高いヤブではなく、足元にたくさん生えているという感じである。これも薄い所を探しながら進んでいく。

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 やがて少し尾根がきつい登りとなる。

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 もうそろそろ降りる予定の尾根が合流するはずと登っていくとやはり左からの尾根と合流する。わずか先に行くと道が左下から登ってきていて、そこには手製の道標があった。

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 先へ進む。比較的明瞭な感じの道を進む。しばらく進んで登り、小ピークを左から巻いて先に進む。さらに登るとそこが鹿峰の山頂、かなり古い山名板と少し新しい山名板が二つほど立っていた。すぐ後ろは大きな木が倒れていた。あまりランチにする気分にもなれない。右から巻いて進むと少し掘れたような所が見つかった。少し戻ると先に湾と海が見える。これだけの眺めであろう。山頂を後に下山することにする。往路を戻るが、小ピークを巻くところはこんな感じだったかなと思う。反対から来ると随分印象が違うものだ。再び道標の所まで戻り、そこから右に真福寺を目指す。

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 山道が認められ、それを追って下っていく。台風の後はかなり厳しかったのではないかと思われたが、多少は整備してくれたのだろうか。しばらく下るとだんだん山道は深くなり、枝や落ち葉がだいぶ積もっていて歩きにくくなる。途中にはやはり倒木で歩けない所があり、左や右の高い所を下るが、道はかなりの斜度で下っていて、また道はだいふ掘れているので道に戻るのもしんどい所が結構あった。

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 なんとか溜まった落ち葉などの上は歩かないようにして下っていき、何度も曲がりながら下っていく。ひたすら下ると右に道は離れていく。そこからはまたヤブ道の始まり、先に進むが、どこを歩くのが正しいのかよく分からない。進んでいくと左にフェンスがあるがヤブが多い。突き進むとフェンス横を進むようになるが足場が悪い。その先に作業用の乗り物があった。

 ところがその先少し行くと左下にフェンスは離れていき、右に登るとなんとかテープを見かけて先に行く。その先まで行くとまた笹薮。そこで進路がまた分からなくなる。右のあたりをしばらく進んでみたが、どうも道ではない。また戻り、テープの所まで戻る。笹薮のあたりを探すとやはり左手がなんとなく薄い。そこを進むとこれが道の続きだろうか、またテープをみかける。笹薮の中をかきわけながらそのまま進んでいくと古い砂などを入れる袋がいくつも捨てられている。その先に行くと倒木があり、それを乗り越えて道だったのではないかと思われる所を進む。また捨てられた袋を見かけ、笹薮の中を進むと急に舗装された道に飛び出た。右を見ると道があり、石灯篭が見えた。右に行ってみるとそこが真福寺であった。

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 事故もなく山を下りることができてホッとする。お寺でお参りする。今はもう訪れる人もほとんどなさそうだ。板碑はコンクリートで固められていた。石段を下ると道路に出る。近くには案内板がある。板碑は鎌倉時代のものらしい。ただ、割れてしまったようで昭和の時代にブロックに収めたと書かれていた。

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 ホッとした気分で道路を下っていく。だいぶ下って民家のあたりまで来ると水仙が咲いている。やはり房総と言えば水仙である。

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 道をそのまま進むと農地が広がるが、そのあたりにもたくさん水仙が咲いていた。さらに進んで長狭街道に出る。右に細い道に入って進むと道が分かれていて、左に進む。山に向かって登っていくが、しばらく登ると民家で道は終わっていた。どうも違うらしい。あたりを探したが、それらしい場所がない。やっぱり無理だったかなと思いながら少し戻ると細い道があった。それに入ってみると民家の間を進む。犬がいてワンワンと吠えられた。そのまま細い道を先に進むとそれらしい道が分かれていて、右に曲がって進むと不動堂に着く。

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 その横から道が始まっている。そちらを登る。少しザレていて急な登りが続くので足元に注意しながら登る。まださきほどの犬の鳴き声が聞こえていた。小さく曲がりながら登っていくとあまり山頂っぽくない所に登りつく。社があるが、固く閉じられていた。秋葉神社であろう。横には石碑と石祠がある。富士浅間大神と書かれている。富士講らしい。

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 さて、下りにかかる。やはりザレているのが心配である。慎重に下っていく。ピーと甲高い鳴き声が聞こえた。鹿のテリトリーらしい。そういえば登る時も小さな糞が大量に落ちていた。この道を根城にしているのだろう。下って不動堂に戻る。再び細い道に出て、右に行く。道はなくなって民家の裏手を進むとなんとか道路に出ることができた。高速の下をくぐって先へ行くと小学校の近くを通る。学校の斜面にも水仙がよく咲いていた。先の道を進んで左へ進む。いちご狩りをやっているらしく、ビニールハウスから何人か出て来た。長狭街道に出て、右にいく。のんびり歩いていくと保田小学校に出る。せっかくなので立ち寄ることにした。直売所に行って酒やくじらの大和煮缶などを買い込んだ。駅に向かう。普段ならばんやに立ち寄るところだが、まだ13時前、この時間に行くと人だらけで一時間待ちは当たり前なので行く気にならなかった。再び線路手前を右に入って小さな踏切を渡り、駅へ行く。

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 少し待てば列車が来るようだ、お昼を食べていなかったので持ってきたパンを待合所で食べて満足。やがて来た二両編成の列車はそれなりに座っていたが、まだ座席が空いていた。早い帰宅となった。

 

三浦アルプス(仙元山~乳頭山~二子山)

2025012699(仙元山からのきれいな富士山)

【 山 名 】三浦アルプス(仙元山、観音塚、茅塚、乳頭山、二子山(上の山)、二子山(下の山)、阿部倉山)
【 山 域 】三浦の山
【 日 時 】2025年1月26日(日)
【 天 候 】快晴
【 ルート 】風早橋バス停9:00→9:25仙元山→9:50ソッカ→10:10観音塚→11:30茅塚11:40→11:55乳頭山→12:55二子山(上の山)13:00→13:15二子山(下の山)→13:35阿部倉山→13:55川久保→14:05長塚交差点バス停

☆三浦アルプスへ

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 以前に仙元山から乳頭山などは歩いたことがあるが、記録も残っておらず、すっかり忘れている。先日cyu2さんのブログで仙元山や二子山の記録を見たので久しぶりに歩いてみることにした。京急の逗子・葉山駅で下車するが、トイレに行っていたら一台乗り逃した。まあ、バスの本数は多いので少し待てばよいだけである。しばらく待って来たバスに乗り、風早橋で下車する。

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 バス停を少し先に行くとグループが準備中であった。もう少し進むとトンネルがあるが、信号を渡って右の道に入る。しばらく歩くと左に急な道がある。近くには三浦アルプスの案内板があり、そこからが始まりである。少し登って右側に入るときれいなトイレがあるので立ち寄っておく。急な登りをしばらく登り、住宅などをみるとやがて教会があり、その脇から登山道に入る。

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 ぐんぐん登っていく。目の前に壁のような登りが見えて、それを登っていくと明るい所に出る。降りてくる人たちもときおり会う。さらに登ると仙元山に着く。きれいな富士山が正面に見えてとても良い山頂である。また大木もある。ビャクシンと表示があった。その横は招魂碑のようである。

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 写真を撮って満足したのち、先へ進む。アップダウンの道となり、大変である。小ピークからは先に大きな山が見える。進むと大きく下る所もあって、階段で登り返したりする。かなりきつく、なかなか骨の折れる道である。

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 やがて道が分かれている所に出る。観音塚方面は右へ進むのだが、その前に左に入って少し登る。着いた山頂はソッカという名の山頂らしい。

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 樹林と奥に電波か何かの施設があるくらいだが、ここからも海を見ることができた。また左手には島も見ることができた。

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 分岐に戻って先へ進む。緩やかな道でどちらかというと下りが続く。ときどき人がやってきてすれ違う。葉山小学校付近から登って仙元山へ向かう人がそれなりにいるようである。子供と歩いている人もいたので、軽いハイキングに良いのであろう。さらに進んでいくと分岐を過ぎて道標があり、観音塚を示す細い道が分かれている。一人休んでいる人がいて先に自分が進む。ここから南尾根と呼ばれているようだ。

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 道に入ると高い笹が生える。そういえばこんなところ通ったなぁと古い記憶がよみがえる。さきほど分岐にいた人が追いついてきてどちらまで行かれるのですかと聞かれたので乳頭山ですと答える。そこまでは同じですねということだった。

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 やはりアップダウンで進み、やがて観音塚に着く。大きな木が二本ある。手前の木が大きい。その先に千手観音と馬頭観音が置かれている。馬頭観音は裏に回ると三つの頭を持つ石仏になっていた。道標を見ると乳頭山まで3.4Kmほどあるようだ。

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 その先、またひたすらアップダウンで進んでいく。仙元山先のアップダウンよりはマシだが、何度も何度も下っては登りが続く。眺めもあまりない。風が強くなり、ときおり強く吹き付ける。ときどき道標があり、新沢停留所などへの分岐がある。やがて木の合間から左の方に山が見える。二子山方面だろう。

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 やはりかなり前から来る人たちに会った。随分進んでいくとようやく前を歩いている人たちをパスする。その先で急にロープがあり、尾根を外して右に降りる所があったりもした。そろそろ乳頭山が近づいてきたかなと思いながら、まだアップダウンの道を進んでいく。途中の小ピークでさきほどの人が休んでいたが自分が先に行く。また途中でその人が追いついたので先へパスさせる。その後は会うことはなかった。やがて急に明るい所に出て、すぐ先で鉄塔に登りついた。

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 そこで昼食にしようかとも思ったが、水を飲んだだけで、もう少し先へ進むことにする。下って先へ進み、左へ進む。トラバース道のような所を進んでいくと大人数のグループに会った。さらに先へ行くと茅塚への分岐。せっかくなので立ち寄って見ることにする。右の道を登る。倒木があったが、下をくぐれば問題なかった。降りて来た人に会って先に登るとしばらくで茅塚の山頂に着く。送電鉄塔が立っている。陽だまりの山頂でポカポカと暖かい。あまり来る人もいなさそうなので、ここで昼食を取ることにした。今日はコンビニで、滅多に買わない値段の張るチーズ入りのパンを買ってみた。チーズの香りがやはり美味しく、ちょっとだけ贅沢な時間を過ごした。

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 さて、先へ進むことにする。往路を戻って分岐を先へ進む。やがて下りになると先にピークが見えるが、あれが乳頭山であろう。

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 下ると畠山への分岐があり、その先から登りに変わるが、金属製の階段で急登である。ひたすら登ると一旦登りついて少し先へ行くと樹林の中の通過地点みたいな山頂で、プレートがついていた。

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 わずかに先に眺めがある場所があり、港などを眺められた。

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 また急降下で少し下り、坂の途中に分岐がある。そのまま直進しそうだが、どうやら東尾根は右らしい。

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 右へ入って下るとロープの付いた急な岩場を下る。その先は細いが普通の道になる。まだ登って来る人達にときどき会う。右に田浦方面への道を分岐してさらに先へ行く。アップダウンはあるもののさほどではない。ただまた風が強くなり、かなり風が吹き付ける所もあった。やがて森戸川源流方面への分岐を見て、さらに先に進んで再びの分岐から左に二子山方面への道に入る。

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 今まで明るい尾根を歩いてきたのに急にうす暗い樹林の中の道となってそのせいもあるのか少し寒い。下に木を敷いてある所もある。時期によってはジメジメとなるので木を並べているのであろう。このあたり軽装の人にときどき会う。自分はしっかり山というイメージだが、散歩がてら歩いている人も多いようだ。やがて歩いていくと馬頭観音に出る。右に入ると馬頭観音が置かれている。はっきりと「文政三」(1820)の文字が読み取れる。約200年前の石仏である。先の道標の所に案内板があり、逗子から横須賀へ抜ける道に建てられていて、薪・炭・榧などを運び出すのに役立った道といったことが書かれていた。

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 先へ進む。まだまだ歩いている人たちに会う。だいぶ歩いてグリーンヒルなどへの道と分かれて左へ進み、どんどん進んでいくと谷を巻いて進み、やがてまた左へ森戸川源流方面への道が分かれる。きつい登りでしばらく登ると林道らしき道に出る。そこから林道らしき道を左へ進んでしばらくで折り返してまた登っていく。また折り返して進むともう二子山は近そうだ。やがて先に電波施設の入口のような所に出て、手前を左に登ると二子山に着く。

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展望デッキがあり、登ってみるとやはり港や海が眺められた。展望デッキを降りると近くに三角点があるが、そこには花が植えられていて咲いていた。

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 先に進もうと思うが、この先XX方面には降りられませんという記述がある。果たしていけるのだろうかと心配になる。しかし、それを見ていたら先から人がやってきたし、特に阿部倉山へは行けそうな雰囲気なので行ってみることにした。

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 先に進んで下るとまた大きく登り返す。ロープも付いた登りはかなりきつい。終盤近いのにこれかよと思いながらひたすら登るとあっけない樹林のピークが下二子山であった。

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 そこからまた下るが、ロープの付いた急な下り、少し滑りやすいので注意しながら下る。しばらく下ると先へ進み、さすがにこの道は歩く人は少なそうな感じである。右手に民家などが近くなり、人の声なども聞こえるようになるほど近くなる。しかし、道はどこを歩いているのか分からなくなりそうなぐらい細い道が続く。先に大きな山が見えてきて、そこに向かって再び登りになる。動物などがいたのか、がさがさという音がしたので、そちらを見たが、動くようなものは特にみえなかった。先をしばらく登り返す。やがて踏み跡が左に分岐している。特に道標などはないが、そのまま左へ登る。少し登ると緩やかになり、やがてベンチのところに出る。ここが阿部倉山のようだ。ただ、少し先が実際の山頂のようなのでもう少し先まで行く。先に道が続いているが、どこへ続いているのだろうか。

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 ふと後ろを振り返ると大柄の女性が音もなく近づいていたので吃驚した。こんにちはと挨拶したが、無言で通り過ぎて行ったのでちょっと怖かった。その道を進んでも降りられそうには思ったが、登った道を少し戻って先に行く。少し進むと左から降りてきたのはさきほどの道だろうか。そのまま先へ進むと細い道は緩やかに下っていく。やがて以前からの山道という感じの道で何度も折れ曲がりながら下っていく。民家などが見えてきて、どんどん高度を落としていくとまだ登っていく人に会った。さらに下っていくと民家の裏手のような所に降り立った。すぐ先には石仏や墓石が並んでいた。

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 下ると石仏や庚申塔が並んでいる。住宅地なので邪魔になったからここに移動したものと思われた。その上には大きな「畠山重忠公御守護地蔵尊」と書かれた石碑が立っていた。住宅地の道路をしばらく歩く。右に出ると車の通りの多い道路に出る。少し先に川久保というバス停があった。しかし逗子行きのバスは一時間に一本程度と少なく、時計を見ると30分以上の待ちである。それならばもう少し歩こう。ちょっと長いが、歩道がしっかりあるので問題はない。だいぶ歩いて長塚橋に出る。長塚橋のバス停は手前だろうか、反対側にはあったがこちらにはない。そのままさらに歩いていくと長塚交差点のバス停がある。さらに歩いてしまおうかと少し通り過ぎたが、やはり乗ることにしようかと戻る。10分くらい待てばバスが来そうだ。と数分待つと遅れていたのかバスがやってきた。バス停二つほどなのであっという間に逗子・葉山駅の近くで降りる。交差点を渡って少し行けば駅に着いた。駅から始発の各駅停車に乗り、金沢八景で快特に接続していたので帰宅は早かった。

 

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