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芦川北側稜線 その2

その1からの続きです。

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右左口峠には中道往還の案内板がありました。

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しばらく歩いて柏尾坂峠。あまり人が来る峠には見えませんね。少し先には石祠がありました。

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さすがに午後ということもあって、かなり暑くなってきました。だいぶヘタバッてきましたが、登っていくと七覚山。ただの藪山ですね。

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踏み跡がちょっと怪しくなってきましたが、先へ進んでこの付近が関原峠と思われる場所。ほとんど峠道は消えているように見えます。

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茶平山に向かうと「たいら山」の表示がありました。

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茶平山へはかなりきつい登り。バテバテでなかなか登れず、かなり時間がかかりました。
ようやくの事で三角点に達しました。すでに14時過ぎ。

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先へ行くと踏み跡が少し濃くなりました。直登するより、こちらから往復する人が多いのでしょうね。

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林道終点に出ます。その先が大峠と思われますが、林道からはかなりの急な斜面で直接は無理なようです。

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しばらく林道を進んでから取り付いてみました。それなりに高い所まで行きましたが、ただの藪。小林氏の「甲斐の山山」でも、大峠について、どこが峠なのか定かではない、とあるので、まあ仕方ない所でしょうか。

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再びしばらく林道を歩いて山に取り付きます。

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古い山道もあったりするものの、藪道を辿って進んでいくと暗い樹林の中に三等三角点がひっそりとありました。ここが三ツ俣尾山でしょう。

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古い山道は落ち葉が溜まって歩きにくいことこの上なし。あまりにもひどいので、ちょっと外して歩いた所もありました。なんとか林道に降り立ってホッと一息。

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弓建峰へは少し踏み跡が濃くなり、たまに手製の道標もあって安心する道。
途中にはヤマツツジが咲いていました。

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弓建峰の祠の前で少し休憩してから、先へ行きます。踏み跡を追って進んでいくとやがて草が広がる踏み跡になります。

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なんか古い看板があるので、降りてみたら、桜峠と書かれていました。写真だと分かりにくいですが、上に石祠も見かけました。もう16時。でも、やはりこの時期は日が長いですね。

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わずかに登れば浅間神社。石祠と石碑が二つほどありました。

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後ろを振り返ると富士山が。雲をかぶっていましたが、随分長い道を歩いてきたので、最後に祝福された気分でした。

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一旦先へ林道に降りて登り返すと、見られないと思っていた浅間山の三角点がありました。最近更新されたのかきれいな三等三角点でした。

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あたりにはカラスがたくさん飛んでいました。もう下界が近いですね。

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下る道は最近はかなり歩かれているようで、夕方でも問題なく下ることができて安心しました。降り立った所には石碑がありました。山の先生と言われた地元の丹沢正作という人への歌碑だったようで、近くには小屋もあって説明板や写真などが飾られていました。

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歌舞伎公園に立ち寄りました。先に神社があり、安全に下れたので感謝の祈りを捧げます。案内板によると蹴裂神社という名称で、一条氏塁跡ということでした。

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のんびり民家の中を下っていくと甲斐上野駅。ちょうど17時でした。
9時間に渡る山歩きは自分ではかなりのロングコース、さすがに疲れました。

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