雨の物見山へ
8/28は奥武蔵へ。
くもりのち雨の予報。家の方は降っていなかったので出かけたら、飯能駅付近はしっかり雨。細かい雨なので風が吹くと足元を濡れる嫌な雨。駅から歩き出します。
しばらく歩き、中山のあたりから高麗峠に向かいます。
山道に入ってしばらく緩やかな道を登っていくと広い所に出ます。
天気が良ければ休んでいきたい所。西武鉄道が整備したようで、ハンノウツツジも植栽したと書かれていました。
しばらく歩けば高麗峠。こんな天気でもランナーさんがトレーニングしていました。
わずかに先が分岐で、宮沢湖方面への道を分岐します。
巾着田方面に下っていくと、なかなか太いモミの木の下に壊れた石碑。
ドレミファ橋を渡って巾着田に入ろうと思ったら、この日は水没していました。(写真左下にある柵の通り、もちろんこの日は通行止)
少し戻って道路を右から回りこみ、あいあい橋から巾着田に入りました。さすがに人はほとんどいませんでした。霧雨に煙る日和田山がいっぱしの山という感じでした。
巾着田を出て、日和田山に向かいます。女坂と男坂の分岐。こんな天気でもやっぱり男坂を選んでしまいました。
男坂は岩の多い道。こんな天気だと滑りやすいし、傘もさしながらの歩きなので、注意しながらのんびり登りました。
やっぱりこんな天気でも若い人に何人も会いました。
物見山に向かうと少し雨が弱くなりましたが、やっぱり降り続きます。物見山で立って昼食を食べました。
久しぶりの三角点。こんな樹林の中になんで一等三角点なんでしょうといつも思います。
今日はヤセオネ峠が終点。
駒高まで戻り、道路を下ってみます。
さすがに道路歩きは長かった。巾着田近くから高麗駅に出て、帰りました。
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高麗と聞くと、大変興味をそそります。
奈良時代に東国周辺に散らばっていた高句麗人(高麗と呼ばれた)たちが、
朝廷の命令で、現在の高麗本郷あたりに移住させられたとの記録があり、
現在も残る高麗家住宅や高麗神社も訪ねたいと思っています。
高句麗人たちの痕跡は、湘南の大磯辺りから神奈川を北上し、
小野路から調布辺りにも多く見られます。
狛江、国領などの地名も高句麗(コグリョ)に由来するのでしょう。
奥武蔵の地名にも古代朝鮮語らしきものがあり、単なる山歩きだけでなく、
古代史も楽しめますね。
投稿: たまびと | 2016年9月 6日 (火) 12時38分
たまびとさん、こんにちは。
このあたりはやはり帰化した朝鮮人と深い関係がありますね。
神山弘氏「ものがたり奥武蔵」でも、
比企郡の丘陵地帯には好んで尾根上の高地に部落が点在しているが、
これも朝鮮伝来の風習の名残りだと言われていると書かれていますね。
確か小暮理太郎氏も「山の憶い出」の中の「マル及ムレについて」で高麗について書いていたはず、
と久しぶりに引っ張り出して少し読みましたけど、
高麗朝臣福信に高倉という姓を賜ったことから話を繋げ、
「高麗は本来高句麗で、」とあり、自分の持つ平凡社ライブラリー版では「カクリ」とカナが振られていました。
いずれにしても、古代の朝鮮とは関係があったことが分かり、
なかなか興味深いですね。
投稿: リブル | 2016年9月 6日 (火) 20時32分