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のんびり日和田山から

とうとう一ヶ月遅れになってしまいましたが、3/25は奥武蔵へ。

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気持ち良い晴れの日。高麗駅を歩き出します。

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高麗川に出るとゆったりした流れのせいか、お魚がたくさん。

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自治会館の横から入ります。

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ゲレンデに向かう道から右に別れて登っていくと見晴らしの丘に着きます。眺めがあり、この時期なので遠望は効きませんでしたが、楽しめました。

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先へ登っていくと岩場に出て、男坂に合流します。金刀比羅神社の鳥居まではすぐでした。

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山頂にはたくさんの人。寒かった今年の冬ですが、急に少し暖かくなったせいでしょうか。

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淡々と歩いて物見山。こちらも予想外に人が多かったです。

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先へ進むとさすがに人は減りますが、それでもたまに会います。
北向地蔵に来たのは何年ぶりでしょうか。

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土山への道に入ってみました。途中の分岐には昭和の初め頃の山根村青年団が立てた石標がありました。

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のらりくらりと山腹を歩いていくとユガテに到着。春のユガテはやはり桃源郷でした。

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下山はいつもながらの飛脚道。橋本山からから見る山々も霞気味でした。

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今回は福徳寺に降りました。のんびり沢を見ながら東吾野駅に出ました。

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登山(奥武蔵)」カテゴリの記事

コメント

近日中に高麗駅から物見山、日和田山を登り、ユガテを通る計画をしていました。
もちろん山を歩くのも目的ですが、奈良時代に武蔵国に散らばっていた高句麗人を
高麗郷(現在の日高市)に集めたとの記述が日本書紀にあり、なぜこの土地(日高市)
なのかと考えると、高句麗人が最初に住みついた(上陸した)大磯の真北に当たる
山の麓だからだろうと考え、この土地に興味を持っているのです。
大磯周辺から小野路、狛江、調布と拡がりながら、高麗郷へと行きついたのでしょう。
高指山の名も古代朝鮮語に由来するように思います。
余談ですが、この春、国宝指定を受ける深大寺の釈迦如来像を作ったのも高句麗人だと
考えているのです。

たまびとさん、こんにちは。

やはり高麗はいろいろ気になりますね。
高句麗人は、確か強制的に移住させられたという話もあったような。
まあ、今となっては推測しかできませんけど。
いずれにしてもいろいろロマンがあって楽しいですね。

(追伸)
早速、天気が良かったので30日に行って来ました。
少し霞がかかっていましたが、関東平野や富士を見ることができました。
念願のスカイ山やまだ桜の残るユガテも訪れ、大満足の一日でした。

たまびとさん、こんにちは。

ユガテなどに行かれましたか。
日曜日は良いお天気でしたね。
確かにちょっと霞というかスモッグ的な雰囲気もしましたが、
とても天気が安定していましたね。

朝は涼しかったけど、昼間は結構暑かったのでは。
まだ体が暑さに慣れていないので、低山は熱中症要注意です。

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