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2024年3月

伊豆市 湯の国会館

登り尾の帰りは修善寺駅行きに乗り、途中下車。

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バス停も湯の国会館でした。歩いて少し戻る感じ。

入浴料は880円でした。

内湯は長い感じのお風呂。掛け流しっぽい雰囲気で、たっぷりとお湯がフローしています。熱くなく、ぬるくなく、ちょうどよい温度でした。

外へ出ると露天風呂は二つの浴槽に分かれていて、一つは緑色になっています。どうやら薬草風呂になっている模様。こちらは泉質はアルカリ単純泉らしいです。入りましたが、自分はあまり薬草風呂は好みではないので、すぐにもう一つの露天風呂へ。こらちは循環もしているような雰囲気でしたが、結構お湯がフローしていて、汚れなどはなく、よい感じでした。のんびりと川を見ながら浸かりました。こちらはナトリウム-塩化物泉のようです。

やっぱりいいお湯。長い間、体が冷めず、温まったままでした。またこちらへ行った際には立ち寄りたいですね。

 

登り尾へ

3/16は伊豆へ

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修善寺駅からバスに乗りますが、ほとんどのハイキング客は天城山付近へ行く模様で、天城峠で下車した人が多かったです。人の少なくなったバスを登尾バス停で下車します。

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しばらくはひたすら林道歩き。結構長いです。

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随分歩いてようやく登り口。小さなプレートが付いてました。

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のっけから踏み跡はかなり薄く、迷いそうな感じ。どこを歩けばよいのか分からない所も多々あります。斜面を登って尾根に出ると林道が右にありましたが、倒木などが多い様子。

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先へ進むとすごい急登が続きます。ここも踏み跡はわずかで、登りやすい所を探しながら登ります。

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登り口のあたりにある石標は見つけられず、随分登ってやっと石標がありました。

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ときおり石標がありますが、まだまだ登らされます。

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途中で下って来た人に会ったのには吃驚。なんか石積みみたいな所にも石標がありました。

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そのすぐ先は左は登れないので、右の細い所を登りました。

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やっと緩やかな明るい所に出て、のんびり歩きます。

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さらに先に進んで山頂は左めに進まないといけないのですが、右の方が登りやすそうなので、右へ登って左へ進むことにしました。

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ということで最後は緩やかに三角点が後ろ向きのあたりから出てきました。ちなみに看板があり、自分が登った方は下山は困難なのでお戻り下さいと書かれています。確かに踏み跡も薄くて、下山はかなりルートファインディングしないと厳しいので難しいと思います。

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明るい山頂付近に腰を下ろして、のんびりと昼食にしました。誰もおらず、とっても静か。

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下山にかかりますが、こちらもかなり踏み跡が薄く、引き込まれそうな場所がたくさんあります。時々あたりを見まわして進路を確かめる必要がありました。

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新山峠に着きます。道標があって一安心。ここからの道は石ゴロで歩きにくいけれど、迷うことはない道でした。

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林道に降りたけど、漫然と進んだら、違う道だったようです。林道っぽい荒れた道を下ると道標のある道に復帰できたので助かりました。しばらく下ると橋で沢を渡ります。

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すぐに道路に出ることができました。道標が取り外されていました。道路をのんびり下っていきます。先に見える山は天城山かな。

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ミツマタが咲いていました。ちょっと離れた所にあるのが残念。下の方は寒いのか、まだ蕾でした。

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このあたりは高い杉の木が多いです。この木は特に大きい。先に案内板があり、このあたりは昭和30年代に植林されたそうな。

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ひたすら林道を歩いてゲートを通りました。

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バス停へ向かうと途中には二階滝。残念ながら陰影が強すぎて滝の白さだけしか写真になっていないです。

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駐車場への道を辿り、二階滝バス停へ。40分ほど待ちで、駐車場のベンチに座って修善寺駅行きのバスをしばらく待ちました。

 

柿生の里散歩

3/10はお散歩へ。

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小田急線柿生駅が歩き出し。かつては柿の産地だったようですが、今は住宅地ですね。

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ずいぶん歩いて柿生不動院。

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境内には不動明王像でしょうか。屋根掛けされてありました。

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またしばらく歩いて月読神社。

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陰影が強すぎました。

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高台から下ると常安寺。

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しばらく歩いて常慶寺。

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目の前からは雪を抱く丹沢の山々などを見ることができました。

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ユニークなお地蔵さん。

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たくさんの石仏が置かれていました。写真を撮らなかったけど、その中にパソコンのような端末を使っている石仏があったのには笑えました。

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静かな感じのお寺。

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なぜか境内には神社。秋葉大権現というらしいけれど、お寺と近接しているのは珍しい。

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上に登れそうなので、ついつい登ってしまいます。途中には六地蔵。

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一番上まで登ってみました。ちょっと木が邪魔してしまいますが、やはり丹沢などの山が少し見えました。

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下って行くとふきのとうが咲いていました。

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サンシュユの木も一本あり、きれいでした。

柿生駅に戻りました。

 

西山(おにしやま)

3/9は茨城へ。山登りというよりは丘陵ウォーキングのようですが、出かけてみます。

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相変わらずのどたばたで、常陸太田駅の一つ前の谷河原駅で下車。

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しばらく歩きますが、風がビュービュー。帽子も飛ばされそうになりました。佐竹寺に着きました。残念ながら境内は撮影禁止でした。本堂はかなり古い茅葺屋根。

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ちょっと迷いましたが、なんとか山寺水道の案内板。このあたりに江戸時代にトンネルを掘って地下水を井戸に供給していたようです。その先に山寺水道の碑もありましたが、藪かかっていました。

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再びしばらく歩いてまたちょっと迷いそうになったものの、なんとかハイキングコースの案内板。

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左へ進むと永田勘衛門(円水)のお墓。金山の採掘、土木、水利事業などを担当した鉱山師だったようです。

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戻って先へ進むとこれも藪に消えそうな久昌寺遺跡。徳川光圀の母方が埋葬された経王寺というお寺をこの地に移して、往時は3千人の僧侶が学んでいたとか。その後荒れてしまったので、現在の久昌寺に移転したそうです。

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少し先に行くと当時に掘られたという洞門。通れなくはないものの、さすがに通りたくないです。右手にハイキングコースがありました。

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しばらく歩いていくと四つ角に出て、歴史の道を西山荘に向かいます。

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ということで西山御殿(西山荘)到着。入園料は¥1500とちょっと高い。でも、たぶん再び訪れることも無いだろうと入って見ます。

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茅葺屋根の建物が残されています。徳川光圀が晩年を過ごした場所。あまり中へ入ることができず、外から見ることが多いので、訪れるなら晴れた日がお勧め。書斎と寝室も外から眺める感じでした。

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近くにあった杉の木もかなりの高さでした。庭園の先へ登ってみましたが、特にこれというものはなかったです。ごく普通に山の情景を取り入れた感じでした。

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しばらく歩いて西山公園。展望台があったので登ってみると、遠くには奥久慈の山を見ることができました。

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さらにしばらく歩いて義公廟。建物自体は昭和16年に作られたもののようです。

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このあたりには埴輪の窯跡があったそうな。

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雪村の碑。書かれている字は、横山大観が書いたものらしいです。

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さらに歩いて山寺晩鐘の碑。この時はただの石かと思ってましたので通り過ぎましたが、後ろ側に文字があったらしいです。

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急降下の木段を下ると運動公園に出ました。

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のんびり歩いて見覚えのある常陸太田駅に出ました。しかし、列車の本数が少なく、1時間半待ちでした。

 

三方山、梅の公園

3/3は奥多摩へ。

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なんかあんまりやる気ない時は軽い歩きが良い。ということで青梅駅を歩き出して青梅丘陵へ向かいます。富士山のビューポイントからは頭だけですが、しっかりと真っ白な富士山が見えました。

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ランナーさんが多いですね。すごい良い天気で明るい道。

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まだ時間が早いせいか矢倉台は人がおらず。

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しばらくアップダウンをこなしていくと久しぶりの三方山。

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もう賢治の学校を示す道標は文字も読めなくなりつつある感じでした。

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林道へ降りてしばらく歩きます。

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青梅草が咲いていましたが、日陰が多く、あまり開いているのがありませんでした。

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踏み跡を見つけて登山道に復帰。

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少し右へ行くと青空と山の眺めが良い感じでした。

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戻って怪しい尾根を下って梅の公園へ。

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サンシュユがよく咲いていました。

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もう随分経ちますが、全部梅の木が切られてから10年ほど経つみたい。再度植えられてからは8年ほど。まだまだ若い木ですが、多少は見られるようになってきたようです。

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やはり青空の下で見るのが良いですね。

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ここにも青梅草?フクジュソウ?分からないけれど、しっかりありました。

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なんとセツブンソウまであったのには吃驚。ほとんど終わってましたのであまりきれいとは言えなかったですが、なんとか咲き残りが見られました。

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アズマイチゲが咲いていたのにも吃驚。

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良い気分で日向和田駅へ。早い帰宅となりました。

 

東向島から浅草散歩

3/3は東向島から浅草へ散歩。

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初めて東向島駅で下車して、しばらく歩くと向島百花園。入園料は¥150。

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さすがにちょっと早すぎたか、そんなに咲いているお花は多くない感じ。ミツマタは準備中。

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池などもあって雰囲気よい公園。

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フクジュソウも咲いていたけれど、あまり花が開いてない感じ。

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やはりスイセンがきれいでした。

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しばらく歩くと子育て地蔵尊。

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庚申塔が多く置かれていました。

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隅田川近くになるとカワヅザクラが咲いていましたが、天気が今一つなので残念。

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近くには大きな木。横には墨堤植桜の碑という石碑がありました。八代将軍吉宗が植えたのが始まりだそうな。

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隅田川に出ます。やっぱり水が多いな。

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桜橋を渡って少し歩くといまどはしの欄干だけ残っています。元は山谷堀に掛けられた橋だったようですが、昭和の頃に埋め立てられたようです。

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さらに歩くと姥ヶ池。昔は隅田川に通じる池だったそうです。娘が連れ込む旅人を石枕で叩き殺す老婆がいて、娘が旅人の身代わりになって死に、それを悔やんだ老婆が身を投げたという伝説があるそうです。

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浅草寺に向かいますが、外国人や旅行者など多数の人で賑わっていました。

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浅草神社にお参りしたのち、浅草寺でもお参り。仲見世を歩きましたが、人だらけで土産物も買う気にならなかったです。

浅草駅から帰りました。

 

新宿散歩

氷雨降る2/25は新宿へ。

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雨の中、さすがにほとんど人のいない新宿中央公園の中を歩いて、熊野神社へ。

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しっかりお参り。案内板によると新宿区指定有形文化財ということで、七人役者図絵馬という安永二年(1778)に奉納された絵馬と式三番奉納額というものがあるそうです。

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しばらく歩いて成子天神社。驚いたのは、入口の前で一礼して過ぎ去る人がいたこと。

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中へ進みます。なかなか立派な随神門。

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境内には力石が置かれていました。持った人の名前が書かれていたりします。

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裏手には富士山。大正9年に作られたそうな。

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今でも登ることができます。山頂には石祠。残念ながら周りはビルや駐車場で殺風景でした。

雨風が強いので、帰りました。

 

出野沢左岸尾根から松生山

2/24は奥多摩へ。

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南郷バス停で下車して歩き出し。下の方は雪がほとんどなかったけれど、先に見えた山はしっかり雪山。

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尾根に向かいますが、やっぱり先の山は雪があるようです。

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尾根に向かいますが、かなりの急登。その上、溶けた雪が雨みたいに降り注ぎます。自分のウィンドブレーカーは元々は防水性透湿素材の雨具なので、こんなコンディションでも問題なし。ザックがしっかり濡れました。

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やっと尾根に出て先に進みます。このあたりまでは日差しがありました。

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先に進んでいくと粉をまぶした感じ。まだまだ溶け雨が降り注ぎます。最初の小屋はまだしっかり存在。

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登っていくと二つ目の小屋は倒壊寸前。もう使えない感じです。

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雪道になりつつありますが、登りがきつくなります。

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踏み跡がなくなり、ひたすら上を目指すと自然林の尾根になりましたが、踏み跡なんて見当たらず。ストックを取り出してパワーで登りました。

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やっとのことで登山道に出ました。しっかり道標がありました。ここまでスノーハイクになっているとは予想外。

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先へ登っていきます。もう降りて来る人にも会い、後ろから来た人はちょっと鈴がうるさかった。早い人でこの払沢ノ峰で抜いて行ってくれたのでその先は静かに歩けました。

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久しぶりの霧氷に会えました。

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随分久しぶりの松生山。休んでいる人達がいました。もう山名柱が古くなってますね。

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先へ進んで行きます。ストックが役に立ちました。

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入沢山のあたりからは御前山が見えるはずですが、雲の中のようでした。完全に雪山の眺め。

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微妙に雪が溶けて道が出ている所もあり、滑りやすい下りでした。

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しばらく頑張ると結構人のいる浅間嶺展望台。天気悪いね。

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天気悪いので昼食を取った後はさっさと下山。久しぶりに上川乗へ下ります。やっぱり雪解け雨の洗礼を受けます。途中の眺めはアルペン的。

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上川乗に着きました。長時間待ちで先まで歩こうと思ってましたが、バスは覚えていた時間ではなくなっていて、20分ぐらい後に一本あったのでラッキーでした。人少な目のバスで帰りました。

 

衣笠城跡へ

2/18は横須賀へ。

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横須賀中央駅からバスに乗ったけれど、スマホで調べたバスはどうやらかなり手前だったみたい。もっと先へ行くバスに乗れば良かったのですが、かなり失敗。佐野四丁目という所で下車したけれど、衣笠城跡はかなり先。随分歩かされて、いろいろ迷いましたが、なんとか衣笠城跡への道に入れました。古い石祠はもうお顔もなくなっている感じ。

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城跡に向かうともう河津桜系の早咲きの桜が満開でした。

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道を登っていくと不動井戸。諸国行脚中の行基が杖で岩を打つと清水が湧き出たという伝説の井戸のようです。

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すぐ先に石段があり、それを登ると大善寺。三浦一族の仏教信仰の中心となった場所で、不動尊は後三年の役の時に為継を守ったということで「矢取不動」の名があるそうです。

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城跡に入り、右手に進むと石碑や御霊神社などがありました。

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一番高い所に行ってみると行き止まり。下には道らしきものがありますが、今は通行できないようです。岩場の左下にはくりぬいた穴などが見えました。

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戻って静かな城跡でベンチに座って簡単な昼食。静かな場所でした。

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往路を戻り、しばらく車道横の歩道を歩いて満昌寺。

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源頼朝が三浦大介義明追悼のために創建したというお寺。宝物殿は予約が必要ですが、お墓のお参りは特に予約は不要で行く事ができました。

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さらにしばらく歩いて青雲寺。三浦為通、為継、義継の三代の墓がありました。

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しばらく歩き、急な石段で谷状の地形の下へ降りて行きます。

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しばらく進むと満願寺。三浦大介義明の子、佐原十郎義連が平家追討の戦いに参加し、願いが満ちて建立したと伝えられるお寺。

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少し先に進むと熊野神社の表示。先へ進むと石段で登り、さらにその先も崖を石段で登って中腹あたりまで登らされて、ようやく神社がありました。

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先へ進むと岩戸川。夏には蛍が見られるようです。岩戸バス停に出て、再び横須賀中央駅に出て帰りました。

 

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