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高根山から秋葉道 その2

その1からの続きです。(時間等はその1に記載)

2024120747(茶畑と山)

 さて、寒いし、この先の時間も分からないのでさっさと先に進むことにする。道標を見て家山駅方向に進む。

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 すぐに通行止と表示されたカラーコーンが置かれているが横にどけられている。果たして通行できるのか微妙である。不安に思いながらも先へ進む。緩やかにアップダウンで進んでいくと再び道標があり、右に道を分ける。芋穴所のマルカシとあり、そちらにも後ろ髪を引かれるが、そのまま先へ下る。

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 やはり歩く人があまりいないようで少し枝などが落ちているのでわずかに下りにくい。しばらく下ると迂回路と書かれた表示で左にはロープが張られていた。右の道をしばらく下ると再び迂回路の表示が左にある。どうやら崩壊地を巻くように道を付け替えてくれたみたいである。これで問題はなくなって安心する。あとはひたすら家山を目指す道である。

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 やはり東海自然歩道に指定されているので、道標は多く、大抵の怪しい分岐には必ず道標があるし、なくても少し進めば道標が出てくるので安心である。その割にはあまり歩いている気配がなかったりもする。たまにベンチもあるのだが、使う人はどのくらいいるのだろうか。しばらく下って後ろを振り返るともう高根山が高くなっていた。

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 風がたまに強く吹き付けたりもする。やはり季節風が今日はそれなりに強いようだ。どんよりした雲が来ると寒くなるが、しばらくするとまた明るくなる。このあたりは滅多に人が来ることはなさそうだ。

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 先に進んでいくとやがて作業道が右に出てきて、やがてそれに出る。そのあたりの進路が難しい。このまま作業道を下ってしまうと行き過ぎなので、少し上の左を進む踏み跡を進んだ。しばらく進むとやはり道標が出てきて、左に登るらしい。作業道とは分かれて登る。ちょっとどんよりとした感じになってしまったが、あたりの紅葉は地味にきれいである。少し登ると道標があり、左手に「二俣」と書かれた看板が置かれていた。しかし、二俣とはどこを指しているのか、よく分からなかった。

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 先に進む。少し進むと明るい所に出る。小屋があったが、もう使われなくなってから相当経っている感じである。昔は何かをこのあたりで耕作していたのだろうと思われる。その少し先は昔からの道らしい雰囲気、落ち葉が溜まって紅葉している木もあり、雰囲気の良い道だった。

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 しばらく進むと広い場所に出て、休憩舎がある。左に「いっぷく処高根」という表示板が立っていた。富士山も見えたものの、残念ながら雲がかかっていた。あまり休まず、先に進む。

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 少し先へ行くと道が細くなり、右手には大きな谷が見える。

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 若干歩きにくい所もあったが、しばらく下ると林道に出た。左に白井という所への道が分かれていた。そのまま先へ進む。林道という感じの道になってどんどん先へ行く。やがて茶畑が広がっている所に出る。ここはまだ耕作されているようだ。おそらく一旦、下に下って、先に見える山に登り返すのだろうと思う。しばらくそのまま道を下っていくとやがて左に入るように書かれている。道路から離れて左に入るとすぐに石仏などが固まって置かれている所があった。道路を作ったときなどにあたりの石仏などを集めたのだろうか。もう忘れ去られている感じで、倒れている石仏もある。こうして忘れ去られていくのであろう。寂しい感じでその横を通り、先に進む。細い道をしばらく進むと西向吊橋に出た。

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 下は道路である。道路を作ったときにこの吊橋を作ったのだろうか。歩く板は古くなっているが、まだ大丈夫なようだ。だいぶ揺れるので少し怖かった。以前に南アルプスなどで長い吊橋をいくつか渡ったことがあるが、短いのにそれよりも怖い感じだった。それでも問題なく渡り切る。そこから先は登り返しになる。そこそこの斜度があり、なかなかきつい。しばらく登った所の右側にフリスビーがささったように見える切り株がある。サルノコシカケであろう。

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 まだまだ登らされる。やはりさきほど見た山へ登っているのだろう。ここはひたすら道に従って登るしかない。だいぶ登って進んだ所に右に屋根掛けされた石仏が置かれていた。このあたりはガイド本によると秋葉道と呼ばれ、静岡から信州まで続いている、交易のためや秋葉山を詣でる信仰の道の一つだったようである。しかし、この屋根掛けも斜めになっている。だんだん忘れられていくのであろう。

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 さらにしばらく登ると再び石仏が置かれている。よく見ると苔のついた石仏の左右に「右・・・みち」「左あき・・・みち」と一部読めないが、道標にもなっていたようである。確かにそこから右に道が分かれている。これは江松峠という所へ向かう道であろう。

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 少し先に行くと再び分岐がある。そこにも小さな石が置かれていて、よく見るとそれも道標である。こちらも道を示しているようだ。明治四十二年と書かれていた。さらに先に行く。緩やかに下って進み、鞍部でまた薄い踏み跡のようなものが分かれているが、そこにも道標の石が置かれていた。それも明治四十一年のものらしい。少し急な登り返しになってしばらく登り、トラバース道のような所をしばらく進む。さらに登っていくと道標が出てきて、右に入るとやはり屋根掛けされた石仏があり、それが笑い仏らしい。

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 しかし、お顔は風化していてなぜ笑い仏なのかはもう分からない。その上石仏は半分にわれたらしく、ひびを修復された跡がありありと残っていた。少し先にわずかに展望が広がる場所がある。ベンチが置かれていてわずかに近くの山が眺められた。東海自然歩道の案内板もあり、それによると家山駅までまだ10Km弱あるようだ。やはり長丁場のようだ。

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 先へ進む。緩やかな下りとなり、気分よくスピードモードで下る。樹林の中に入ると少し寒い感じである。ひたすら下っていくと急に茶畑に出た。

 獣害避けの扉を開けて、もちろん通った後にしっかり閉めておく。そこからは茶畑の横をひたすら下る。先には谷が見えるのだが、あの谷のあたりまで下るのだろう。

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 茶畑の横の道は道路を横断して付けられている。この道を歩かせてもらえなかったら、かなり長いこと歩かなくてはならず、大変だと思う。でも、登りは急坂で辛いだろうと思う。何度も道路を横断して下り、だいぶ下ると左に進むように道標がある。落ち葉の溜まっている木段を下ると鹿らしき動物が動くのが見えた。再び獣害避けの扉を通り、山道に入る。ピーという甲高い鳴き声が聞こえて来た。メスの鹿だったのだろう。山道を下っていくと小さな沢を木橋で渡り、少し下ると再び古い橋を渡って道路に出た。ここが上河内の集落であろう。

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 さて、ここからはひたすら道路歩きとなる。少し進むと川沿いの紅葉が地味にきれいであった。

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 しばらくは民家があったが、やがて民家もなくなり、川沿いの道はくねくねと曲がっている。ひたすら歩く。さすがに山奥の集落、滅多に通る車もない。淡々と道を歩いていくが、やっぱり長い。

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 左に右にと曲がりながら進み、やっと右に曲がった所に広場が出て来た。ロープが張られているが、あたりからは先に谷が近くなり、そろそろ家山駅が近づいた感が出て来た。それでもまだしばらく歩いていくと右のコンクリート付けられた道標に家山駅30分と書かれていた。やっとここまで来たか。さらにもう少し歩いていくと下っていくが、車の騒音などが聞こえるようになった。さらに進むと左に曲がって家などが見える。もう少し下ると右に視界が広がり、急に都会に出た気分であった。

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 少し下ると車の通行の多い道路に出る。車に注意して横断歩道を渡り、右に下る。進んで左に折れると信号に出る。家山駅に向かうならば、左に進んで橋を渡るのだろうが、予定よりもかなり早い時間にここまで来ることができた。もし時間があればと思っていた川根温泉まで歩くことにする。車の通行の多い道を右へ進む。歩道があるので安心である。川根温泉まで2Kmの表示があるが、実際に歩くと遠い。だいぶ歩くと今度は上り坂になる。しばらく登らされて左は小さな公園らしい。SLが見えるようだ。確かに大井川鉄道の鉄橋が見えた。

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 さらに進んで下る。やっとお店などが出てきて先に進むと川根温泉ホテルがあり、その先が道の駅、川根温泉ふれあいの泉に到着した。

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 長い歩きであった。約20Kmの歩きである。この時間ならゆっくり入浴できそうだ。中に入って温泉に浸かる。お湯はかなり濃いお湯でとても温まる。その上、たまたま入浴した時間にSLが来る時間であった。露天風呂から汽笛を鳴らすSLを見る。今は大井川鉄道は一部が土砂崩れですぐ先の駅止まりになっているので、ゆっくり走ってくれるのでこちらもゆっくり見ることができた。これもまた山歩きの締めくくりの記憶の一つとなった。

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 さて、のんびり浸かったのち、少し早めだが、川根温泉笹間渡駅に向かう。駅がどこかよく分からなかったが、先にしばらく進むと古い駅を示す標柱が立っていて、そこから左に入ると駅だった。かなり古い駅舎、昔ながらの窓口が残っていた。

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 しばらく駅で待つ。時間になって列車がやってきた。

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 ワンマン運行のようである。乗り込むとかなり古い車両である。昔のロマンスカーを思い起こされる感じだが、座席のひじ掛けや席のあたりはもうすっかり布が擦り切れていたりしている。大井川鉄道の懐事情が分かるような気がした。

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 せっかくの路線も土砂崩れなどで寸断されているし、今も復旧にかかる数十億円という費用が捻出出来ていないようである。バスも鉄道もだんだん減っていく悲しい時代、車社会になっていくから仕方ないとは思うものの、やはりどこか割り切れないものが残る。そんな事を考えながら昭和の時代にタイムスリップした気分で金谷まで乗車した。JR線に乗り換えてこの日は清水まで行って泊まる。近くの飲み屋に行って一人で飲んでいたら、横にかなり酔った地元と思われる人たちが来た。7時過ぎだというのにすでに三軒目だという。そんな人たちとのふれあいが楽しかった。

 

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コメント

 大井川鉄道、南ア南部に行く計画を立てているとき、帰りのバスがなかなか予約取れなかったので、こちら周りでと調べてみたら、なんともう二年前から寸断されているということを知って、復旧工事費用のメドも立たないとさらに知らされて、なんとも悲しい気持ちになりました。

 近くにリニアを通すのには国がドンとお金を出すのに、こちらはあっさり見捨ててしまう、というのがなんとも残念ですね。私はこのままだと一生利用せずに終わってしまうかもしれません。

 ところで、清水で泊りということは、翌日もどこか山へ?もしそうなら、次のレポが楽しみです。

ゴン太さん、こんにちは。

大井川鉄道、もう25年も前ですが千枚岳から荒川三山の帰りに友人とSL急行で千頭から金谷まで乗ったのが懐かしい思い出です。当時でも冷房とかなくてひたすら暑かったけど、最近の暑さだと余計厳しいですね。

基本的に鉄道は新幹線とかリニアとか世界に売りたいものしか視野にあらず、それ以外は関係ない感じですね。要するに住んでいる人の事なんて関係ないのだと思います。採算を考えると仕方のない面はありますが、寂しい時代です。

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