五十人山へ
ホームページの更新を取りやめて早一年。このblogも独り立ちが必要だと思いましたので、4月からタイトルを変更しました。特にURL等は変わっていませんが、新たな気分でまだまだ頑張っていきたいと思いますので、よろしくお願いします。
(五十人山の由来になった岩)
【 山 名 】五十人山
【 山 域 】阿武隈の山
【 日 時 】2025年3月22日(土)
【 天 候 】晴れ
【 ルート 】西ノ内バス停11:50→12:05西ノ内登山口→13:10五十人山13:20→13:50湯ノ平登山口→14:25せせらぎ荘→西ノ内バス停
☆五十人山へ
久しぶりに阿武隈の山に行くことにした。葛尾へのバスは土休日は一日三本と少ない。しかも午前中の便は11時と遅く、その上、列車との接続が悪く、駅で一時間も待たされるという状態である。帰りのバスも使えるバスは16時の一本だけ。かなりの時間を待つことになるが、調べたら、入浴できる施設があるようだ。それならば時間潰しが可能なので出かけて見ることにした。

久しぶりに三時に起きて出かける。乗り継いで郡山で磐越東線に乗りかえる。船引駅で下車し、駅の中で持ってきた本を読んでしばらく待つ。お昼からの登りだしになるので昼食のパンを食べておいた。ようやく時間になり、バス停に行くと地元の方が二人ほど同じバスに乗り込んだ。しばらく乗った途中で下車していったのでその先は自分一人であった。延々とバスは走り、小さな峠のような所を過ぎると葛尾に入る。民家は少なく山が多く、少し寂しい雰囲気であったが、やがて開けると民家も増えて、湯ノ平バス停を過ぎる。帰りはここに出てくるはずである。五十人山登山道を示す大きな標柱が立っていた。もう少し乗った所で西ノ内バス停に着いた。

左に進んで四つ角を右に折れてしばらく登る。標識があり、五十人山の登山道入口も示していたのでそこで右に折れる。少し道路を進むと日陰に雪が溶け残っていた。先に進んで登っていく。右手は体育施設か何かがあった。奥まで登ると突き当りになり、公園は右のようだが、左の林道らしき道に入る。風が結構あるようだ。ただ気温は高くなり、それほど寒さは感じない。さすがに冬用パーカーは暑いので、冬用ジャケットに着替える。東京付近はそろそろ薄手のウィンドブレーカーに変えてもよさそうに思ったが、さすがに東北の山はまだそこまでの暖かさではないようだ。しばらく進むと左右に通っている道路に出るが、すぐ先に木段があり、そこが登山口のようである。

木段を登り始める。あまり段差が大きくなく、登りやすい木段で足にやさしい。その先も緩やかな登りが続いて淡々と登っていけるのが有り難い。しばらく登ると二合目の表示があった。風が相変わらず強い。ゴォーという音とともに木々が揺れる。今日は冬と春がせめぎ合っている一日のようだ。のらりくらりと登っていくと三合目の表示。あれ、一合目の表示は見逃したのだろうかと思う。樹林の中を登っていくと四合目の表示があり、もう一つ登ると五合目の表示。樹林の合間から左手に稜線が見えてくるが、そろそろ山頂が近くなってきただろうか。

進んでいくと目の前が開けた所に出た。送電線工事中ということで伐採されている。送電鉄塔を立てるのだろうか。そこを過ぎてさらに進んで登ると六合目の表示、もう少し登ると休憩舎があった。

そろそろ山頂が近くなってきた感じ、少し樹林が多くなり、雪も所々出てくるようになった。少し滑りやすい所もあるが、溶けかかった雪が多いので特に問題はない。登っていくと七合目の表示があった。さらに登っていくと雪が増えてよく踏むようになる。

それでも先へ行くと八合目の表示。先へ行くと明るい樹林になって雪もまた減り、笹が多くなって九合目。先へ進んでいくと左手に山が見えて、さらに進めば広い所に出た。

右には小さな小屋があり、左に行くと五十人山山頂を示す表示がある。

目の前の斜面は雪が付いている。あれを登らなくてはいけなさそうだ。近寄るとそれなりに雪がある。踏み跡があったのでそれを追うが、溶けているのでズボッとはまったりする。ちょっと歩きにくいが、なんとか少しずつ登っていく。雪の少ない所を探しながら登って電波塔のある場所に着く。左から回り込むと三角点のある山頂である。

長い石標が三角点で、横にあるきれいな石標は図根点だろうか。今日は風も強く、長居する山頂でもなさそうだ。写真を撮ってすぐに下山にかかる。

再び雪の斜面を降りる。つま先を立ててかかとで下るようにした。またできるだけ雪の少ない所を下ってあっという間に広い場所に降りる。特に休もうという気もなく、湯ノ平登山口を目指すことにする。

湯ノ平方面と書かれた方は目の前の斜面を登れば良いようだ。そちらに入って斜面をしばらく登る。登りついた所には岩がある。

五十人山の案内板があり、それを読むとこの名の由来は、延歴年間に坂上田村麿呂が蝦夷地平定の折、山頂の大石に侍従五十人を座らせ戦略を練ったと伝えられ、弘法大師が五十人石に延命地蔵尊を刻み、薬草せんぶりを病人に与えた、といったことが書かれていた。さすがにこの石に五十人は座れなさそうにも思うが、ざっくりした数なのであろう。

その石の横から下る道が湯ノ平に向かう道である。そちらに入ると少し雪が増える。こちらは日陰が多いのだろうか。今日は布製のハイキングシューズで来たので、あまり雪があると困る。少し靴が濡れてきて、染みてきた感じがあった。

下る道も一人くらいの足跡があって問題はない。何度か折れ曲がって下るとベンチがあったが、そこもまだ雪だった。さらに折り返して下っていくと大きな山が先に見えてくる。そこに登らされるのかなと思いながら折り返して下る。ようやく少し雪が減って土が多くなり、歩きやすくなった。脇にはあるけれど、道には雪がない状態になってどんどん下ると横に道がある場所に降り立つ。

五十人山登山道の案内板があるが、これは山頂までの案内板、その下の道はどちらに行けば良いのか微妙である。左の道は歩きやすそうだが、遠回りなようだ。下へ直接下る道が近そうな気がしたので、下に行くことにする。下へ向かう道に入ると少し滑りやすい道、雪が溶けた後の感じでだいぶ泥になっている所もあり、木などを掴んで滑らないように注意しながら下る。それでも滑ったが、転ぶほどの事はなく、なんとか下っていく。しばらく下ると乾燥した感じになり、歩きやすくなった。すると標柱があった。逆向きで山頂まで1.1Kmの表示だった。

さらに下ると沢沿いの道となり、少し沢の中を歩くように思えたが、そのまま下ると流れは右に離れて普通の道となる。どんどん樹林の中を下っていくとやがて林道らしき少し広めの道に出た。そのままその道を下る。足元が少し固く、舗装が見えるが、堆積物が多く、道路という感じはしない。洗堀がひどい道になってその横を下るときれいな舗装された道に出た。ここが湯ノ平登山口であろう。

あとはのんびり道路を下る。まだ2時前、帰りのバスまで2時間もある。予定している施設は営業しているかどうか若干心配であるが、もしやっていなかったら、諦めて本でも読んで待つことにする。明るい平地を右に見て下っていく。以前には人が住んだり、何か耕作していたのではないかと思われる場所だが、今は何もない場所である。右から左に曲がって下っていくと広い場所に出て、もう道路は近い。右手に石碑などがあったので行ってみるとお墓らしきものと石仏が置かれていた。道を先に進んでわずかに登ると道路に出る。少し右が湯ノ平のバス停であった。

時間を確認して先へ進む。道路を進み、しばらく歩いた所でせせらぎ荘の表示がある。宿泊と食事の文字が消されている。今は入浴施設としてのみ営業しているようだ。道路を登って右に入ると施設があるが、人の気配がない。行ってみたが、ドアも開かず、人もいない。やってないのかと思ったが、施設の名前が違うようだ。これは村の施設らしい。もう少し上かと再び道路をしばらく登る。すると営業中の旗が風に揺れていた。やっていたのでホッとする。

のんびり入浴する。残念ながら温泉ではないが、体を温めることができた。お風呂を上がって着替えていると地元の方が話しかけてきた。どこに登ったのか聞かれたので五十人山に登った話をすると子供の頃に登ったということだった。休憩室で本を読んでしばらくバス待ち。温泉ではないので、やはり来ているのはほとんど地元の人のようである。20分ほど前に施設を出て、のんびり下る。近くにバス停もあったが、右へ少し歩く。コンビニらしき建物があったが、この日はお休みのようで営業していなかった。もう少し歩いてさきほど降りた西ノ内バス停までいく。先の落合バス停はどこにあるのか分からなかったが、あまり遠くはなかったようだ。駅から来たバスが通って行ったら、少し先で止まっているのが見えた。今更なのでここで待つ。前の民家には線量計が置かれていて、0.12μシーベルトを示していた。都内の平均に比べればわずかに高いが、気にするほどの放射線量ではないだろう。近くには浪江町の、帰宅困難地域のために一部道路が通行止、という表示が置かれていた。地元のおばあさんが買い物なのか、カートを押しながら通っていく。そんな風景を見ながらのんびりバスを待つとようやくバスがやってきた。バスは結局誰一人乗ることなく、駅に着いた。

この日は郡山で宿泊。馬刺しで軽く一杯やって次の日に備えた。
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